巻頭言

2018.05.01
巻頭言

2018/5/1 ベスト5月号 巻頭言を掲載しました

試練は絶好のチャンス
~艱難辛苦、なんじを玉とする~

株式会社日本公法 代表取締役社長
麗澤大学名誉教授
元中国管区警察局長
元警察庁教養課長
元警察大学校教官教養部専門講師
大貫 啓行

人間、どんな人でも様々な困難や苦難と挫折などと無縁ということはありえない。生きている限り思い悩むものだ・・・ともいわれる。その原因・対象も、友人関係のねじれ、家庭内の不和、仕事の上でのトラブルや軋轢(あつれき)、健康や金銭問題・・・昇任試験がうまくいかないことや、思うような異動でないことなど、あらゆる所に困難の種は存在するものだ。

その都度、不安を抱き、不満を覚え、悲観したり、怒ったり、自暴自棄になったりすることの繰り返し。大抵は、自分の欠点を棚に上げて、親兄弟から上司を始め、関係する人々を非難したり、世間のせいにしたり、運の悪さを嘆いたり、時には、悲観して死にたいとさえ思ったりしている。場合によっては、無気力になってしまったり、あきらめて忘れてしまったり、結果もまちまちだ。それ自体がそれぞれの人間模様の綾であり、人生の面白さとさえ思われる。

そのうちの1つ、例えば、無気力になるというのは、何の解決にもならないことは説明の必要もないだろう。それなのに、結構そういう人が多いとは思わないだろうか。無気力であっても、生きている生理現象ということで、至極自然なことなのだと思う。
きれいさっぱり、あっさり諦めることもあるだろう。中には、諦めや転換が上手な人もいる。それはそれでその人の特技・個性といえるだろう。しかし、無気力が長期間に及び、あるいは、諦めが早すぎるというのは問題がある。それでは、その人にとってのせっかくのチャンスを失うことになることに気付きたい。
困難に遭遇し、それと必死の格闘を展開することで、人は大きく成長することになる。ということは、結果から言えば、様々な困難との出会いは「天から与えられた絶好のチャンス」なのだ。そう考えることができれば、困難は半ば乗り越えられたようなものだ。むしろ感謝して対処することさえできる。どんな経験でも全て、ゆくゆくはかけがえのないプラスになるのだから。そうした前向きの解釈ができる人は幸せだ。
そういう心構えで臨み、乗り越えられれば、ひと回りもふた回りも成長し、大きなたくましい自分になれるというものだ。

成功だけが意義があるのではない。克服できない困難、解決できない問題だってある。その方が多いのかもしれない。

更には、成功と幸福も同一ではない。学問や事業で大きな成果をあげ、地位や名誉を得たり、財産を築いたりすることは、必然的に幸福と結び付くとは限らない。事業で大成功を収めて、かえって不幸になったという人は少なくない。大金を手にして酒色に溺れて家庭も健康も失った人は多い。成功と幸せは別次元のものだ。だから「人生は深いなあ~」と思われることがしばしばだ。

成功できないからといって不幸とは限らない。少なくとも、懸命に取り組んだ経験は必ずや大きな糧となる。その人の物事に対する理解力が深まり、人間に対する見方が磨かれることも請け合いだ。私のささやかな経験からでも、失敗したことの経験にむしろ勉強になることが多い。明日の成功につながるのはそうした涙の経験ではないだろうか。そう思えば、失敗も味わいが出ようというものだ。人間、成功した人が幸せなのではない。結局は、自分自身が充実し満足できることが幸せなのだと思う。

「打たれ強い」という言葉がある。そういうタフさ、しなやかさはすばらしい資質だ。自分を観察して、自分に適した、タフになる妙薬を探してみてはいかがか。心に響き、励まされる言葉を見つけて欲しい。そうした言葉は手帳に書いておきたい。時々、それを見るといい。私にとっては、「朝の来ない夜はない」「易きを避けて難につく」などに救われたことが何度もあった。

グッドチャレンジをできることが、充実した人生の秘訣ではないだろうか。自分自身との付き合い上手になることだ。

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