巻頭言

2020.01.25
巻頭言

ベスト2月号 巻頭言を掲載しました

阪神淡路大震災の教訓
~他山の石~

株式会社日本公法 代表取締役社長
麗澤大学名誉教授
元中国管区警察局長
元警察庁教養課長
元警察大学校教官教養部専門講師
大貫 啓行

 阪神淡路大震災について、職場でのまとめのほか、総務省外郭団体の阪神淡路大震災関係研究会委員として、報告書などを何本か書いてきた。本稿はそうしたものとは違い、25年ほどの歳月を経た今になっても強く残り、あるいは、今だからこそかえって、より強い印象となり迫ってくる教訓を厳選して披露したい。

 何と言っても、最大の教訓は“情報の空白”だ。被災者が声を上げることすらできないほどの激甚災害があるということ。早朝5時46分の発震だった。日本中、まだ寝ている人が多かった。警察庁に勤務していた私は、自宅でいつもどおりの朝を迎え、7時のニュースで大きな地震があったことを知った。よくある大き目の地震だな、といった受け止め方だった。 他の同僚も同様だったようだ。時間の経過につれ、どうも並みの地震でないことが分かっていった。
 激震地の情報は、待っていたのでは伝わらない。地震が大きければ大きいほど、情報はこちらから進んで取りに行かなければならない。理屈では分かっていたが、阪神淡路大震災が起きた時点では、感覚的についていけていなかった。大災害が発生したのなら、緊急報告があるものと信じて疑わなかった。結果、あらゆる方面の初動が大幅に遅れた。
 自衛隊は、救援要請のないまま出動できずに待機。地元自治体の首長は、いつものように迎えの車を待ち、歩いてでも職場に駆け付けようと頭を切り替えることができなかった。東京の各官庁は、テレビを見て右往左往。報道取材ヘリからの映像で次第に明らかになる惨状に、焦りを増していった。自衛隊の偵察機、大阪府警のヘリなどの報告が入ってくるまでには時間がかかった。神戸の街を通り、大阪まで自転車で出勤する途中であった近畿管区勤務員のもたらした情報が貴重だったことが思い出される。
 当時の法律も、非常時には都合の悪いところがいくつもあった。救助犬と共に大阪空港に降り立った、フランスのレスキュー隊の入国がスムーズにいかなかった。犬の検疫には、空港の検疫所に1週間ほど預けなければならないというのだった。レスキューの目的にそぐわない。すったもんだの末に、例外として入国できた。現場警察官の強い要請に、誰かが粋な決断をしたのだろう。法律は、常日頃から非常時を想定しての点検が必要なことを痛感した。

 兵庫県警の被害状況には、後の教訓となったことが多かった。災害発生時に県警本部に代わる本部設定場所と想定していた施設が、液状化の影響で使えなかったことや、警察署が倒壊して使えなくなったことなど。そうした中で、倒壊した警察署の前で篝火を焚き大きな提灯を掲げた措置は、どれほどの安心感をもたらしたことだろう。警察には安全安心の灯火を掲げ続ける使命があることを、改めて感じさせられた。以来、危機対応は「他山の石」が基本……が私の危機管理関連講演での十八番フレーズとなった。

 阪神淡路大震災は、長いこと大きな自然災害がなかった我が国にとって、防災教訓の宝庫となった。消防関係では、ホースの接ぎ目の口径ですら自治体間で異なっていることが広く知られることとなった。消防隊の広域協力には、機材の標準化は欠かせない。
 災害復興ボランティアが発生し、根付き、マンション建て替え決議での賛成比率が議論されたのも、大きな影響を残した。
 下敷きになった家族の救出を求める必死な声に応えられなかった痛みを聞いたことは、今でも忘れられない。更なる緊急の使命があったのだ。災害現場の情報収集に向かう警察官は、私服に着替えて出掛けたという。そうでなければ、助けを求める多くの声で身動きがとれなかったのだ。
 川崎市役所では、危機管理アドバイザーとして、防災関係者に対し、神戸の教訓に学ぶことを繰り返し強調した。また、幹部には、神戸へ行き関係者の話を聞いてくることを強く勧めた。
 地元の神戸でも、震災の記憶がどんどん薄れている。私たちが教訓を伝えていくためには、更なる努力が欠かせない。記憶の風化は、思ったより早いのである。

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