巻頭言

2020.10.01
巻頭言

ベスト10月号 巻頭言を掲載しました

台湾の国父と慕われる李登輝元総統
~歴史に刻まれた偉業~

株式会社日本公法 代表取締役社長
麗澤大学名誉教授
元中国管区警察局長
元警察庁教養課長
元警察大学校教官教養部専門講師
大貫 啓行

 台湾の人々から国父として敬愛される李登輝元総統は、2020年7月30日、98年の生涯を閉じた。台湾を現在の民主制に導いた李登輝氏は今後も様々な意味で影響を発揮し続けることは間違いない。周りを見渡すと、コロナ関連のコラムばかり。今回は、少し趣向を変えて、歴史に大きな足跡を残した李登輝氏の、今後も生き続ける影響力について私見を紹介してみたい。

 現在台湾は正式には「中華民国」と称している。中国共産党との内戦に敗れた蒋介石が大陸を逃れ、台湾で再起を図ろうとして果たせないままで今日を迎えている。1949年10月1日、建国宣言した毛沢東率いる中華人民共和国は台湾を解放して中国を統一することを最大の目標とした。以来、今日まで中国共産党にとっては決して曲げることのできない悲願となっている。建国100周年の2049年までには台湾を解放して悲願の国家統一を成し遂げることが、誰も異議を挟むことのできない国是ということになっている。

 香港で問題となっている「一国二制度」は、香港や台湾にある程度の独自性を許容してでも、統一するという呼び掛けスローガンなのだ(中国共産党内では統一戦線工作という宣伝のスローガンであって、内実は独裁体制下に組み込む口実である。)。
 しかし、香港の事例で、結局は中国共産党の一党支配の下に置く目的であることが事実として明らかとなり、台湾の人々にとっては、大陸との統一への忌避感が圧倒的に強まり、統一への見通しは、現実的には無きに等しい状態になっている。

 李登輝氏は、1996年に台湾で行われた初めての総統直接選挙で当選し、台湾史上初の民選総統となっている。これが中国共産党にいかに大きなダメージだったかは、選挙を阻止すべく、投票直前に、台湾沖へミサイルを撃ち込んでいた事実からも分かる。脅せば阻止できるとでも思ったのは、台湾民意を理解できない独善ぶりを示すものだった。かえって反感を買う結果となり、李登輝氏への支持が高まった。

 独裁体制下の為政者の、常軌を逸した思考方法への警戒を怠ってはいけないことを忘れてはならない。独裁体制下の指導者は民意の理解が不得手。というより、民意という発想すらない。これから相当長期間にわたって続く米中対立の下、様々な問題の発生が予想される我が国の中国への対応において、特異性、困難性を理解する必要性を肝に銘じる必要がある。

 李登輝氏は、独裁強権中国に対抗して、全国民の直接投票による指導者選出モデルをもって臨んだのである。国民の支持に自信がなく、選挙を実施できない中国共産党の最大の弱点をズバリ突いた形の台湾の存在は、中国にとっては目の上のたんこぶ、ジワリと効いてくるボディーブローとなっている。

 李登輝氏の歴史的な功績は、民意を信頼し、民意に基づく民主体制を、根付かせたことにある。1970年前後、私は、台湾に1年間程留学した。当時の台湾は蒋介石、蒋経国と続いた蒋一家による独裁体制だった。金門島では大陸側との相互間砲撃も続いていた。徴兵制下でもあり、何度かの空襲警報(訓練)が日常だった。
 現在、台湾の総人口は約2,300万人であり、その内で蒋介石国民党軍と共に台湾にやって来た人々の末裔(外省人)が約100万人である。私が留学していた当時との空気の違いは大きい。現在では時間の経過とともに、圧倒的多数が台湾を故郷と感じる(台湾しか知らない)人々になっている。そうした台湾住民の直接選挙による統治への愛着と自信は、中国共産党指導部にとっては脅威であろう。
 これから、台湾は中国共産党の様々な工作にさらされる。我が国にとっても台湾問題への理解、注視は欠かせない。

 昇任試験とは直接関連はないかもしれないが、間違いなく時代の過渡期である現在において、世界情勢に目を配ることは、警察官として最低限の教養といえるはずである。

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