巻頭言

2023.08.01
巻頭言

ベスト2023年8月号 巻頭言を掲載しました

思い出される事件 その2
~三島由紀夫自決~

株式会社日本公法 代表取締役社長
麗澤大学名誉教授
元中国管区警察局長
元警察庁教養課長
元警察大学校教官教養部専門講師
大貫 啓行

 私は、三島由紀夫自決(1970年11月25日)の報を、台湾の中央警官学校の食堂で聞いた。
 20代半ばの私は、台北にあった(“中華民国”)中央警官学校の外国人用の寮に居住していた。中央警官学校とは、台湾の幹部警察官などを教育する4年制大学。日本でいえば防衛大学校のようなもの。そこに居住して、師範大学で中国語を習い、半日は司法行政部調査局や安全局で、それぞれ半年ほどの研修を受けた。中央警官学校では、客分の扱い。特に、大学院生などとの交流があり、一時は、日本語の教師役もボランティアとして引き受けていた。
 学生と一緒に食事も提供されており、そうした場で、親しい幹部大学院生が皆、ニュースを聞いて興奮した様子で寄ってきた。台湾の幹部公務員から見れば、日本人のイメージに重なる驚きのニュースだったのではなかろうか。
 どう思う?どうなるのだ?皆から、解説を求められた。

 実は、三島由紀夫氏のお宅に、警察庁の同期数人と共に招かれたことがある。奥様手作りの食事をいただいた。三島氏は、制服の若者への独特の関心があったのだろう。国の在り方など色々なお話を聞いた。奥さんをトランジスター美人と称するような気さくさもあった。
 防衛大学校卒で彼に共鳴した数人を同志とし、自衛隊東部総監部(現市ヶ谷の防衛省)にて憲法改正での決起を促す演説をした後、三島氏は自決した。お宅に招かれお話を伺ったことが思い出されるとともに、思想的背景、右翼・テロなどに関して考えさせられるところの多い事件だった。

 日本について海外で報道されることは、日本国内の感覚と異なることは知っておくべきだ。一般的にはほとんど報道されないが、地震、火山の噴火、津波と言った自然災害は例外的に大きく報じられる。珍しいからであろう。
 そんな中で、三島事件は大きく扱われた。腹切り自決はインパクトを与えた。まさに、神秘的と言うか不思議な国、日本のイメージそのもの。台湾では、特に衝撃が大きかったようであるが、なぜか皆、ニコニコして話題にしていたのが印象的だった。どこか劇画チックだったのだろうか?

 海外で日本がどう報じられ、どう受け取られるのか?という視点は大切だ。そういう着眼点を持ち続けたいと思う。世界は多様な価値観に満ちている。
 台湾の人々の、日本への感情は、中国大陸とは違って、親しみのある独特のものだった。対して、韓国や中国の人々の視点は、日本が侵略戦争での加害者であるという意識が大前提なことを忘れてはならない。

 当時、私は、台湾人の婦人に洗濯をお願いしていた(勿論有料)。おばさんは毎日のように寮に来て、洗濯物を持ち帰り、翌日、届けてくれていた。留学生などに係る洗濯は、おばさんの利権的職、おそらく退役国民党兵の家族としての特権的な仕事だったのだろう。
 お宅に招待されたこともあり、海外で生の話を聞くことは貴重な経験だった。旦那さんは、蒋介石将軍に従って大陸から台湾に渡ってきた元軍人(大陸に原籍のあるという意味の“外省人”)。おばさんは台湾人(日本統治時代からいた“本省人”)。外省人の多くが結婚することもなく一生独身の人も多い中、旦那さんは台湾人女性と結婚できた幸せ者といえた。退役国民党軍人など生涯独身の男性の存在が、台湾において公娼制度の撤廃が遅れた理由だったようで、公娼街に通う元兵の姿は、歴史に翻弄された悲哀を感じさせるものがあった。
 また、国民党軍の教官を務め退役後、台北のひっそりとした日本式屋敷に住む元日本軍将軍にも会うことがあった。当時は、まだ戦争の余韻が残っていた。
 警察も戦争時代を知る先輩に満ちており、警察庁の中でも内務省採用の先輩には、独特の雰囲気があった。国士の風格を感じさせられた。夜の宴席では、「敵陣へ真っ先に切り込む覚悟のない者に幹部になる資格はない。」などの薫陶が日常的に聞かれた。そういう意味での最後の世代なのだろう。

 現在、いわゆる台湾有事は、我が国の治安の大きな懸念材料となっている。日本と台湾の独特のしがらみを数多く体験してきた私としては、台湾への生きた関心を持っていただきたいと切に願う。台湾の人口は約2,360万人。本省人は9割。外省人は1割。外省人といっても台湾生まれの人が大部分。台湾しか知らない人がほとんどなのだ。
 朝鮮半島や中国大陸の人々と異なり、日本人への親しみを語ってくれる人が圧倒的に多い。台湾の皆さんを大切にしてほしいものだ。

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